あるロボット研究者の思い

 絶対的なアイデンティティを持たない。

人は他人の「全体」を見て、その人を認識しているのでもなければ社会的な関係を築いているのでもない。その人の社会における役割や個性を見て、その人を認識し、自分の中で位置づけているのである。
人はさまざまな側面を持っていて、それぞれの側面において、社会の中で異なる受け入れ方をされている。
 
産業とデザインやアートとの接点をもっと設けたほうがいい。世界中の技術者やアーチストが集まってくる知の「運動会」をやる。
ロボットとコンピューターのもっとも大きい違いは、存在感にある。
ロボットやアンドロイドは人間にとって擬人化しやすい対象で、それゆえに、そこに知能や感情や意識があるのではないかと人に思わせることができる。そうしたロボットの性質をうまく利用した製品によって、ロボットは広く生活に浸透していくのだと思う。情報化社会の先にはロボット化社会が来る利用方法を考えるより、以前に、世の中を変える純粋な技術開発が必要なのである。「自らが作り出すものが世の中に悪い影響を与えるかもしれない」
という覚悟がなければ研究はできない。さらにその研究は
「自分の命より重い研究」でなければならないと思う。ゆえに研究より自分の命が重いと思うときには、真の研究をしようとしていない可能性がでてくる。。「本当に、自分は自分の命より重い研究ができているのか?」
 この問いは、常に自分に重くのしかかる。
 
自分ひとりの作品ではないので、一人で決めるのではなく、アイデアをどんどん研究室の人に話すよう心がけました。すると周りが反応してくれる。みんなからアイデアが出てくる。
 
アートとテクノロジーダ・ヴィンチの時代は同じ領域だったのに、その後職能分化が進んでしまった。その二つの分野を再び融合させるのです。
 
 技術開発が進み、肉体労働のほとんどを機会やロボットが代行するようになると、人間の四歩との多くは、人とかかわり情報を交換するというような仕事になる。実際そういった産業はどんどん伸びている。
 ゆえに近い将来、人間に対する新しい解釈に基づくルールや法律が必要となるのは必然だと思う。